ちゅんちゅんの、しれっと生きてます。

まだまだラブラブだけど、いつまでも魅力のある女性でいたい。

キレイゴトに目を輝かせるのは自分に穴が開くくらいの自責の念がないから。

これは2016年9月末ごろ書いたものです。予約投稿で主に夜、1日2~5くらい昔のものを投稿するようにしています。

 

※もうこのブログに新しいものを書く予定はないのですが過去に書いたものを定期的に出していこうと思っています。新しいブログははてなプロの契約が切れる10月前後の予定です。

 

 

あくまでも個人的な意見でしかないのだけれど、、、

 

生きることの苦しみさえ消える国を探して自から旅に出てさまようことゴダイゴガンダーラの歌詞)と、この最近よく言われている「明日会えなくなるかもしれないから、仲良くしよう、ケンカ止めよう、感謝しよう」は裏と表に感じる。

 

kametaro009.hatenablog.com

 

この記事を読んで、正論とかキレイゴトとか、そういうことについてふと考えた。この手の話のことは多分出てくるであろうことって、どれも間違いはない。でも、人によって感じることの方向がかなり広いんだろうなと思う。

 

キレイゴトが、とても耳障りのよいリズムを持っているのはなぜなんだろう。

 

 

 

正論だって、わかりやすい言葉で、理屈を並べられると逆らえない。正論もキレイゴトも並ぶととても強くて、それが勢ぞろいすると凡人には勝てそうにない。

 

 

 

でも、たいがいはマジョリティな考えが多くの人にとっては正しい考え。きっと疑わない。その正論もキレイゴトも多くの人には真実で本当のことだから、混じりっ気のない事実で本当なことで、疑う必要だってない。

 

 

 

でも、ある日突然それがどこかに飛んで行ってしまうことがあると思うんだよ。

 

 

その正論とされていることを出来ると信じてたのにしてると信じてたのに、自分ができなかったり真逆のことをしてしまったとき。

 

 

 

 

「後悔するよ系」なら、ライトな話だと例えば飲み会の後はめ外して浮気して、「こっちは告られて付き合ってるんだしそもそもばれないし大丈夫」と思ったらばれて逃げられた、とか。

 

 

そうしたら意外と相手にのめりこんでいて、逃げられた思ったよりのめりこんでたと気が付いた、とか。そしてその後失恋の痛手に立ち直れないとか。

 

 

 

こんなの探せばたくさん出てくる。ゴロゴロ転がってるでしょ。。道路で小石拾うよりちょろいだろって思うね。

 

 

でもたまにそれじゃ終わらないのがある。

 

 

例えばそれは、みんなが言っている正論やキレイな言葉は意味を持たなくなって、正しいのは起きている事実だけっていう時。

 

 

 

 

恋人に逃げられたらハイ次っ! だったらこれでもそんなに問題ないし。

 

 

 

厄介なのは、正論が、キレイゴトが束になってグサグサ突き刺さって来るとき。

 

 

 

何にも考えないで生活してると、ある日突然「なんであの時ああしなかったんだろう」「なんであの時…以下同文」「なんであの時…以下同文」「なんであのと…以下同文」ってなることって、たまにあるよね。

 

 

 

正論は、キレイゴトもまとめてぐるっと全部まとめて、机上の空論なんだって思い知る。

 

 

どんなに後悔しても、その正論やキレイゴトのようにはできないことの方が、私の人生には多かった。頭ではわかってることばかり。

 

わかってても時々わかっててダメだよな、なんて思いながら自分に正論突き刺しながら間違ったことしてたりする。

 

 

 

でも私にはもう机上の空論にしか感じることができなくなりつつあることを、本気で感銘を受けて目を輝かせる人もいる。

 

 

 

きっとまだ心がキレイなんだろうな。2年くらい前かもっと前かにキラキラした目で机上の空論を述べた人に、そう感じた。

 

 

ライブハウスでね、歌う人が「大事な人がそばにいるってことはどれだけ尊いかってのを切々と語って、そばにいられるだけで幸せなことなんだ」って言ってたらしい。

 

 

「いつ離れ離れになるかわからないから今を大切に」って。

 

 

きっとその人そのネタでは生きてるのがしんどくなるくらい自分を攻めたりなんかしたことがないだろうし、後悔もしたことないんだろうね。そして、感銘した通りに自分が行動できるとも限らないなんて考えてもいないんだろうし。

 

 

私は、特に2011年のあと、その言葉をよく聞き勝手に思い出しては昔の自分に対して「あんたはどれだけバカなんだ」って苦笑いしていた。

 

 

 

でも、きっと2011年の後、その言葉を発した人も後々その意味のなさに~どころか、自分の発した言葉が刺さってくるような状況に陥っている人もいると思う。きっと、これは私がかつて陥った状況よりもずっとつらいと思う。

 

 

わかったこと言うんじゃないって言われそうだけど、でも、わかるよ。昔の私よりはツラいだろうってことくらいは。

 

 

 

こういうのは時間と共に消えたりする。

 

 

どう過ごすのかも大事なんだろうけど、それだけでもないし時間はある程度は大きいもの。

 

 

 

 

わたしね、昔、高校の頃に突然すぎてフリーズしたことがあった。

 

 

下のことは本当にほんの一部ではあるんだけど、私は自分を責めるに値することを個人い対して日々思っていた。いつもこの話をしようとしても途中まででもう無理ってなる。でもまあ、さすがに最後までたどり着けないよりも内容的に絶対つなげばわかるわけで。

 

 

最後まで言葉を発することにたどり着けない理由に関しては罰が当たったんだって本気で思ったし、「私があんなことを考えたから」ってずっと思ってた。この理由をきちんと口にできたのも話せたのも話そうと思えたのも主人が初めてだった気がする。

 

 

考えたくもなかったし逃げてたのに逃げられないし。

 

 

 

で、その時の困った女の子だったちゅんちゅん。ざっくりいうと問題児。

 

勉強はついて行けないし、脱色したけど色抜けないからムカついて(今思うとこの辺が意味不明)緩くくるりくるりんってパーマかけて、化粧して香水つけてスカート短くして、たまに体育サボったりわかんないから白紙で出したテストで0点取って当然留年しかけてお情けで仮進級ってなって、、、担任からこのままだと進級が~って電話も来たとか心配かけまくってた時期。

 

 

ありきたりだけど、こんな感じだったのもあいまって反抗期もあるんだろうけどあの晩度重なる「おやすみ」に「うるさいな」ってイラッとしてガン無視決め込んだ。

 

 

そりゃね、小言も言いたくなるよ。でもさ、おやすみって度重ねるほど私は多分大事に愛されてた。なのになさ。

 

 

 

その翌朝早朝起こされて「チーン」

 

「……起きろ。死んでる」

……は?何が?

みたいな。

 

 

「おいおい、あんたなにやってんだよ」って笑うしかないような時に、朝起こされていきなり「死んでる」……フリーズ。

 

 

 

きっとキレイな言葉を並べた正しいことでは人って救われない。今になって正しかったとわかっても、当時は納得いかなかったこと沢山もあった。

 

 

 

あの時言われた正論すぎて納得いかないけど唇噛むしかない言葉、あの言葉は100%保身じゃないって今なら信じられる。

 

でも当時は心が付いてこなかった。

 

 

これ以上詳しく書けないけど、どう考えても当時のそこそこ大きな救急搬送先で検査もせず返されて帰宅して自宅で不審死、これ23区なら行政解剖。でもいろんなこと○○○してた先の配慮でそれすると1週間くらい家族全員事情聴取&様々面倒な捜査とかもっといろいろあるから(ちょっとこの先書けない)

 

 

納得いかなかった。だってこれ、ねぇ。

 

 

その時ね、その人(問題ありすぎで詳しく書けない)に言われてね。ちゅんちゅんが望むなら僕が立ち会うよ。でも、それを故人が望んでないの一番知ってるのちゅんちゅんだよね、って。

 

 

 

話ずれたけど、これだって正論VS正論

 

 

唇嚙むしかないよ。目も見れなかった。

 

 

それで唇噛みながらもうどうなってもいいって思ったね。

 

 

 

突然こんなことあるとさ、後々正論って人をグサグサやるのには最適な武器だなって思う。上の話だって、きっとそれでも頼んだらしてもらえたと思う。でも納得できなくても、立ち会ってほしくても欲しいって言えないよね。

 

 

人を立ち直れないくらいぶった切りにしたいなら正論が一番だよって断言できるくらいの破壊力もってるんだよね、正論って。

 

 

この頃正論ってぶつけるとグサグサ来るんだって初めて感じた気がする。

 

 

 

 そしてその後。

 

愛する人がそれっきり会えないかもしれない。大事にしなさい。

 

 

 

こういうどれが正しいかわからない正論のせいで後悔しないよう気を付けるのって、もちろん無駄なことじゃない。悔いを残さないように、とか。

 

 

でも思うんだよ。思うことってめちゃくちゃ簡単。それ決めるのもね。

 

 

なのにこの手のことは100心に誓ってもその通りにできるかって神のみぞ知るってものが多いように感じる。

 

 

そして、さっきのリアルで「後悔ないように」的な話をされた時はイラッとした。「地元のライブハウスボーカルの人が言ってた」って私がもう二度と覆せないことをその人はキラキラした目で語ってたから。

 

 

開眼した顔で言われると腹立つどころかうんざりして一人になると泣きたくなるっていうのにも驚いた。

 

 

そして、きっとボーカルのニーチャンはたぶん本気で「ガンダーラ」を探す旅に出たいって思ったこともないんだろうなって、思った。生きることの苦しみさえ消えるところに旅立ちたくなることは、「明日大切な人に何があっても後悔ないよう生きよう」と紙一重なのに。

 

 

え? 

私がチキン過ぎてそんなこと思うだけ? 

 

でもガンダーラ探してる人はこんなにポジティブになれないし、明日大切な人が突然~を信条にしている人はガンダーラを探す気になれないと思うのよ。そんな気しない?

 

 

なんだかんだ書いたけど、私はこの「愛する人を大切に」に恐怖を抱きながら生きています。